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ランドスケープ・プロダクツによる新しいスペースが誕生する。
ギャラリーでもありコミュニケーションスペースでもある全く新しい概念をもったフレキシブルな空間。プレイマウンテン・メゾネット。

第1回目となるエキシビションには『STONE』と題して東西から石にまつわるオブジェクトが集まる。
以前からランドスケープ・プロダクツで取り扱っている、アメリカのアルマ・アレン、スウェーデンのマッツ・グスタフソン、日本のゲルチョップ、そして今年春からコレクションに加わったフランスのリビングストーンと日本の古賀充の作品。

プレイマウンテン・メゾネット。人と物とが交差する場所。
中原慎一郎(以下、N)_今回は石という切り口で、ランドスケープ・プロダクツのコンセプトであるMan-Made Objectに石というコンセプトを投げかけて、Man-Made Stone Objectsとい
う題名で展覧会を開催します。ギャラリーとしての新しい試みとしてこのスペースを開設しました。

氏が代表を務めるランドスケープ・プロダクツのコンセプトであるMan-Made Objectの思想。それは人間が作り上げた無作為の美のことでもある。

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今回は石の表情を生かし、個性的な作品を作る古賀氏にお話を伺った。
古賀充は今年27歳になる彫刻家だ。地元茅ヶ崎の海岸で収集した石で作品作りを行っている。小さな花器や足のついた不思議なオブジェ。古賀氏が生まれ育った神奈川県茅ヶ崎の海岸には、起伏のある地形が長い年月をかけて育んだ自然の石が存在する。堅牢な石、やわらかい石、色が複雑に混じりあった石。

N_意外と普通に生活をしていると石に触れることってそんなにないですよね?都会で生活をしていると特に。

古賀充(以下、K)_そうですね。石を探しにいくというよりも、自分にとって綺麗なものって何なんだろうかと。
砂浜にはいろんな種類の石が転がっていて、その中には綺麗だと思うものやそうでないものが混在しています。それでもそれらは全て自然現象によって等価値で出来ているので、その中から選んだ時点で作ることが始まっているなあと。

N_そこからディレクションが始まっていますよね。

K_そうですね。自分が作る前に知らなきゃいけない、と思ったのがきっかけですね。自然の中にあるものを。

N_石の話としては今回の展覧会でも紹介するフランスのリビング・ストーンを扱うきっかけになった甑島(こしきじま)の石があります。断層の島で、海底が石だらけなんですね。それが縞模様の不思議な石で。石なんだけど、まず石の状態のままで風景として楽しめるというか、石が浜の美しさを作っていて。そんな自然の景色があって、石をモチーフにして作品を作る人がいたりして。その一連の流れが本当に面白いなあと思いました。
物と物であったり、物と人だったり、人と人との繋がりであったり。繋がりを大切にしたい。そういった気持ちが高まったときに自分の中に変化が起きる、といつも思っています。

K_石との出会いは偶然に左右されます。同じ石に対する感じ方もその時々の自分の感受性によって日々変化していきます。1日でひとつしか拾えないときもあれば、いくつも拾える日があったり。でも無理に拾ったりはしません。今日出会った石を1日放っておいて、翌日探しにいくこともあります。

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N_タイミングってありますよね。
自分たちは家具などの無機質なものを作っているので、彫刻家に憧れるというか、そのストイックなもの作りの姿勢に。いいものを作ろうとする意識をはずしていくための素材として石は羨ましいなあと思います。

K_すでに石には100%の状態のものがあって、逆に自分がそれにこめていくのではなくて、自分の造形的概念を入れない、ということのうちにもともと石が持っている表情がぐんぐん出てくる感じがあります。

石は身近なものであると同時に古来高貴な装飾品として扱われ、神聖なものと思われてきた。人は長い歴史のなかで石を加工することを神聖な行為と結びつけてきた。

K_石に手を加える行為は一面ではその石のもっている素の良さを壊すことでもあります。手を加えることで自分が美しいと思った印象に戻していくというか、手を加えていくことで自分が美しいと思ったものとどう繋がっていくのか。自分はアーティストという意識よりも、普段自然にあまり触れる機会のない人たちにどうやって自然との繋がりを見せていけるか、ということを念頭においているところがありますね。

N_昔は幼くて気がつかなかった物ごとが今になっていろいろと分かってきましたね。物が何からできているのかとかとても気になります。
土地柄とか風土とか今一番気になる事柄ですね。自分のルーツをもっと自分の作るものに反映させなければ、と最近強く思うようになってきています。

K_僕たちが持っている価値観ってすでに自然の中にあって、その中から自分に見合うものをチョイスしてきているのかなあと思います。
だから石の加工方法も無理に自然に近づこうとするのではなく、自然が導き出してきた同じ方法を探しながらその物にとっての最良の加工方法を探します。いいかえれば自然のなかにおける人間のポジションを考えながらつねに作業をしているんです。物を作ろうとする人間の、自然に近づこうとする営みのなかにこそ、物を作る人間存在の本質がある気がしています。

人間の無心の行いが自然の営為の無作為の美と結びつくことがあるから不思議だ。それは民藝の考えかたにも結びつく。

K_自分が自然に手を加えることで、自然そのものがより際立て見えてくるようにしたいんです。

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確かに古賀氏の作品には人間が手を加えていながらも、もの本来の持ち味や個性といったものが際立ている。そして物との戯れにも似た遊び心があふれている。
彼の創作スタイルには作品作りにおける気負いのような堅苦しさは一切ない。作品にはストイックな感性が感じられるのに、むしろ無邪気な遊び心に満ちている。

N_これらの作品には自然のいたずらと古賀くんのいたずらがフィフティフィフティに表れているのですね。

その言葉に、あのイサム・ノグチが石を前にして呟いた、「自然が許してくれる過ちよ」という言葉の意味が少し分かった気がした。

Text by Takashi Kato

June 24, 2007 9:33 PM |

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