岡山のサンハウスは昨年(2007)行った店の中ですごくインパクトある店であった。
その店はカレー屋であるのだけれど、店内左奥のスペースには古民藝が置かれていて
販売もしている。カレーはスリップウェアに盛られてでてくる。不思議とエビカツカレー
が岡山には多いように感じる。何故?
それはともかくこの店に連れてきてくれたのがこの椅子をつくる河内和徳くん。
僕と同じ歳。1971生まれのイノシシ年。古民藝を見たいはカレーを食べなければで
落ち着きのない食事を終えると河内君がマスターに一声掛ける。裏庭に古民藝を置く店があるという。
そこには小さな日本家屋があって狭い空間でありながらもマスターの審美眼にかなったものが
並んでいる。すべてが古いものだけでなく近所の和尚さんの版画もあったりする。
(その版画もすごくいいんです、交渉してその場で購入)その空間の真ん中には河内君のつくった
テーブルが置いてある。スツールも置いてある。ここのマスターが使い続けた河内君のスツール
にいたってはその座面がつるつるとしている。鉋や鑿で仕上げられたもともとの座面はよく見ると
荒々しい。その表面が使う事により、つまりおしりによりこんな変化をとげるのかと驚かされた。
さらにはマスターの河内君への親のような接し方がすごくよかった。そしてお互いの興味である
古民藝の話しもすごくよかった。ぼくも調子ににってあれこれ購入したのだけど、数日後河内君から
聞くところによるとやはりマスターは気分よくなって僕に対してかなり値引きしすぎたといって
い たそう。
そんないろんな出会いの末に河内くんのスツールをプレイマウンテンで扱うようになりました。
彼のスツールみたら自分でデザインして作る気がなくなりました。椅子は彼につくってもらうのが
一番良いなと素直に思えたから。
Text by Shinichiro Nakahara
ランドスケープ・プロダクツによる新しいスペースが誕生する。
ギャラリーでもありコミュニケーションスペースでもある全く新しい概念をもったフレキシブルな空間。プレイマウンテン・メゾネット。
第1回目となるエキシビションには『STONE』と題して東西から石にまつわるオブジェクトが集まる。
以前からランドスケープ・プロダクツで取り扱っている、アメリカのアルマ・アレン、スウェーデンのマッツ・グスタフソン、日本のゲルチョップ、そして今年春からコレクションに加わったフランスのリビングストーンと日本の古賀充の作品。
プレイマウンテン・メゾネット。人と物とが交差する場所。
中原慎一郎(以下、N)_今回は石という切り口で、ランドスケープ・プロダクツのコンセプトであるMan-Made Objectに石というコンセプトを投げかけて、Man-Made Stone Objectsとい
う題名で展覧会を開催します。ギャラリーとしての新しい試みとしてこのスペースを開設しました。
氏が代表を務めるランドスケープ・プロダクツのコンセプトであるMan-Made Objectの思想。それは人間が作り上げた無作為の美のことでもある。
今回は石の表情を生かし、個性的な作品を作る古賀氏にお話を伺った。
古賀充は今年27歳になる彫刻家だ。地元茅ヶ崎の海岸で収集した石で作品作りを行っている。小さな花器や足のついた不思議なオブジェ。古賀氏が生まれ育った神奈川県茅ヶ崎の海岸には、起伏のある地形が長い年月をかけて育んだ自然の石が存在する。堅牢な石、やわらかい石、色が複雑に混じりあった石。
N_意外と普通に生活をしていると石に触れることってそんなにないですよね?都会で生活をしていると特に。
古賀充(以下、K)_そうですね。石を探しにいくというよりも、自分にとって綺麗なものって何なんだろうかと。
砂浜にはいろんな種類の石が転がっていて、その中には綺麗だと思うものやそうでないものが混在しています。それでもそれらは全て自然現象によって等価値で出来ているので、その中から選んだ時点で作ることが始まっているなあと。
N_そこからディレクションが始まっていますよね。
K_そうですね。自分が作る前に知らなきゃいけない、と思ったのがきっかけですね。自然の中にあるものを。
N_石の話としては今回の展覧会でも紹介するフランスのリビング・ストーンを扱うきっかけになった甑島(こしきじま)の石があります。断層の島で、海底が石だらけなんですね。それが縞模様の不思議な石で。石なんだけど、まず石の状態のままで風景として楽しめるというか、石が浜の美しさを作っていて。そんな自然の景色があって、石をモチーフにして作品を作る人がいたりして。その一連の流れが本当に面白いなあと思いました。
物と物であったり、物と人だったり、人と人との繋がりであったり。繋がりを大切にしたい。そういった気持ちが高まったときに自分の中に変化が起きる、といつも思っています。
K_石との出会いは偶然に左右されます。同じ石に対する感じ方もその時々の自分の感受性によって日々変化していきます。1日でひとつしか拾えないときもあれば、いくつも拾える日があったり。でも無理に拾ったりはしません。今日出会った石を1日放っておいて、翌日探しにいくこともあります。
N_タイミングってありますよね。
自分たちは家具などの無機質なものを作っているので、彫刻家に憧れるというか、そのストイックなもの作りの姿勢に。いいものを作ろうとする意識をはずしていくための素材として石は羨ましいなあと思います。
K_すでに石には100%の状態のものがあって、逆に自分がそれにこめていくのではなくて、自分の造形的概念を入れない、ということのうちにもともと石が持っている表情がぐんぐん出てくる感じがあります。
石は身近なものであると同時に古来高貴な装飾品として扱われ、神聖なものと思われてきた。人は長い歴史のなかで石を加工することを神聖な行為と結びつけてきた。
K_石に手を加える行為は一面ではその石のもっている素の良さを壊すことでもあります。手を加えることで自分が美しいと思った印象に戻していくというか、手を加えていくことで自分が美しいと思ったものとどう繋がっていくのか。自分はアーティストという意識よりも、普段自然にあまり触れる機会のない人たちにどうやって自然との繋がりを見せていけるか、ということを念頭においているところがありますね。
N_昔は幼くて気がつかなかった物ごとが今になっていろいろと分かってきましたね。物が何からできているのかとかとても気になります。
土地柄とか風土とか今一番気になる事柄ですね。自分のルーツをもっと自分の作るものに反映させなければ、と最近強く思うようになってきています。
K_僕たちが持っている価値観ってすでに自然の中にあって、その中から自分に見合うものをチョイスしてきているのかなあと思います。
だから石の加工方法も無理に自然に近づこうとするのではなく、自然が導き出してきた同じ方法を探しながらその物にとっての最良の加工方法を探します。いいかえれば自然のなかにおける人間のポジションを考えながらつねに作業をしているんです。物を作ろうとする人間の、自然に近づこうとする営みのなかにこそ、物を作る人間存在の本質がある気がしています。
人間の無心の行いが自然の営為の無作為の美と結びつくことがあるから不思議だ。それは民藝の考えかたにも結びつく。
K_自分が自然に手を加えることで、自然そのものがより際立て見えてくるようにしたいんです。
確かに古賀氏の作品には人間が手を加えていながらも、もの本来の持ち味や個性といったものが際立ている。そして物との戯れにも似た遊び心があふれている。
彼の創作スタイルには作品作りにおける気負いのような堅苦しさは一切ない。作品にはストイックな感性が感じられるのに、むしろ無邪気な遊び心に満ちている。
N_これらの作品には自然のいたずらと古賀くんのいたずらがフィフティフィフティに表れているのですね。
その言葉に、あのイサム・ノグチが石を前にして呟いた、「自然が許してくれる過ちよ」という言葉の意味が少し分かった気がした。
Text by Takashi Kato
アルマの創造力には本当に驚かされる。それも時間が経てば経つ程に。知り合ってから数年経つが作る物から感じるものがより深さを増している。
もちろん彼の作品をみてブランクーシやイサムノグチ、ジャッド、ヘンリームーアの影響を感じる人もいると思う。ただ今の彼と会うとそれをまったく感じさせないオーラがある。
内面からでてくる形がたしかなものになりつつあることを自分が理解し始めているのだと思う。それはもしかすると彼の生活の変化(joshua treeへ移住したこと)もあるのかもしれないが、もっといろんな経験が彼をそして彼の作品をよい変化へと導いているのかも知れない。モダンであるとかミニマルであるとかオーガニックであるとか、バイオモーフィックであるとか、アノニマスであるとかそういうジャンルにはまることない彼の作品はまさにMAN MADE OBJECTなのだと思う。
なぜなら彼はNATURE MADEをより理解しようとする人間でもあるから。
Text by Shinichiro Nakahara
沖縄に初めて行って来た。
鹿児島生まれで行ったことないの?と言われたのだけども。たしかに鹿児島にいるころ沖縄はまったく気にならなかった。というよりあまりよいイメージを植え込まれていなかった。奄美とかの離島に教師の人たちが赴任するのを嫌がっているのとかが印象強く残っていて。つまりまわりは僻地扱い。海で遊ぶのも地元で充分な年齢だったからだろう。ただ今は違う、柳宗悦や濱田庄司が沖縄について語っているのを知ってからは。
今回雑誌の取材でもあったけれど、来年こちらでも仕事する予定がたっている。先日いったロンドン郊外のディッチリング。たぶんこことも繋がってくるはず。さて実際行ってどうだったかというと案の定、沖縄にはまった。そして気づかされた。多くの陶芸作家とも話しすることができた。かれらの考え方、作陶のスタイルすべてが心地良かった。
沖縄では良い物の判断に「丈夫で美しいこと」があるという。土も柔らかいのもあって陶器は厚く、高台も直径も大きく高く出来ていて見ていて安心感がある。これらを聞いて、そして眺めているとずっと自分が悩んでいたことに答えが出た気がした。
そんな流れでこの旅で一つ大きな買い物をした。それが厨子甕。骨壺である。洗骨したお骨をこれにいれてお墓にいれたのだそう。すごくいい風習だと思う。益子参考館に行ってこれを外に置いているのを見て以来ずっと気になっていた。これをつくったのは上江洲茂夫さんという方だ。いろいろと見たけど上江洲さんのがもっとも良かった。本人は「こればっかりつくっているから上手になるんだよ」って言い、「嫁にこれが大きいから窯の中で沢山焼くことができないから非効率ということで、また作ってるの!(笑)と言われるんだよ」とも言っていた。厨子甕が好きなのがすごく伝わって、伝わって。。その場でお願いして来年の展覧会で置く予定の物を譲っていただいた。
これこそMAN MADE OBJECT!
今から何いれてあの世に行くかが楽しみです(笑)
沖縄いいですね。別の国だって言う人よくいるけど、ぼくはよっぽど日本らしいと思います。
Text by Shinichiro Nakahara
海外のヴィンテージ家具を扱うSHOPやフリーマーケットなどに行った際に必ずといっていいほど買うものがある。それはWOOD BOWL。つまり木製の器なのだが、 この世に数多く存在するWOOD BOWLの中にはとても興味を惹くものが存在する。とくに1940年代ころから1970年代にデンマークやドイツ(当時の西ドイツ)そしてアメリカなどで作られたものに心惹かれるものが多い。素材は主としてチーク材、マホガニー材、ウォールナット材(ブラックウォールナット、クラロウォールナットなど最高の素材のものはさらに良い)、ゼブラウッドなどを使ったもの。僕が好きな作家はBob Stocksdale(USA),James Prestini(USA),David Ellsworth(USA), Jens H. Quistgaard(Denmark)などなど(ただし現在では入手しにくい価格となってしまっている)。特にDavid Ellsworthのものはどっしりとしていて僕の好みである。彼がペンシルヴァニア州の彼のスタジオでワークショップをやってると最近知り体験しにいこうかと思っている。彼オリジナルの道具も販売していると聞いては黙ってはいられない。相当なお年だろうしはやく実現したいことのひとつでもある。
もちろん作家ものでないものでも好きなBOWLは沢山ある。ただ素材は似ているがハワイ土産屋売っている類いのものはちょっとアウトで、ある見分けるべき観点は存在する。もしかすると女性で籐のバスケットを集めている人を見かけるが、ある種この集めてしまう感覚は似ている部分もある気がする。でもこの観点はデザイナーが考えたものだからとかKay Bojesenのものだからとかだけが判断基準ではない気がする。そのフォルムと素材が見た目のすべてではあるのだけれども、それだけでは言い表せられない良さがあるBOWLが存在するのである。BOWLとしての存在感だけでなくOBJECTとしての存在感があると言ったら良いのか分からないが、、、
とにかくある程度多くの種類を見ていかねばこの見分けはつかないだろう。言えば単なる木のボウルではあるのだから。集めている形の中で多いのがいわゆるバタフライボウルと呼ばれるもので、薄く挽いてあるボウルで横から見ると両サイドが釣りあがってみえるタイプのもの。この形は同年代の陶器類(特に北欧の作家ものによく見受けられる。たとえばGunner Nylundなど)にもよく見受けられるもので当時のある種、はやりのフォルムだったようである。思うにこれらの中にもアノニマスデザインとして評価されるべきものもあるのでは、と僕は思う。
そして、この集めたWOOD BOWLをどう使うのかであるが、もちろん生活の中の食のシーンで使うのも良いし、Adam Silvermanの陶器のようにキャビネットなどの上に置いて飾るのにもよい。これらのWOOD BOWLの魅力を感じてもらうためにも一度検証しなおして皆さんに見てもらう機会をつくりたいと思っている。近年はなかなか良い物が見つかりにくいので苦労するとは思うが、、、
Text by Shinichiro Nakahara
http://www.ellsworthstudios.com/david/schoolwood.html
http://www.mintmuseum.org/mason/masonsite/stocksdale.html
http://www.mintmuseum.org/mason/masonsite/prestini.html